あの人に会いたい

大平一枝 作家・エッセイスト

台所の物語はすべての人が主役。大切な時間が流れています。
『東京の台所』の著者、大平さんが訪問した台所は書籍用の書き下ろしも含めると、200軒を超える。
なにげなく置かれた道具やお気に入りの調味料ひとつからほどけていく台所の物語。そこから見えてくるものは?

Profile
おおだいら・かずえ/作家、エッセイスト。大量生産・大量消費の対岸で生きる人々の、ライフスタイルや人物ルポを中心に各紙誌に執筆。日々流れていくかけがえのない時間を書き留め、失われつつある、けれども失ってはいけない価値観をすくい上げている。夫と2人の子どもの4人家族。
ホームページ「暮らしの柄」http://kurashi-no-gara.com/ 、ツイッター@kazueoodaira
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誰かが誰かを思う 気持ちの残る場所

「普通の人の家の台所の本を書きませんか」。懇意の編集者からそう声をかけられたとき、大平さんの頭に真っ先に浮かんだのは、狭いけれども居心地のいい知人宅の台所だった。
「コンロは2つしかないし、焼き網やふきんが掛かっていて、雑然としているんだけど、生活の気配にあふれていて、なんともいいんです。よくよく見ると、そこにある道具はすべて、木のまな板や竹のざる、鉄の鍋や焼き物の器など、年を重ねるほど味わいを増すものばかり。そこから最初の物語は始まりました」

朝日新聞デジタル[& w]で「東京の台所」の連載が始まったの2013年1月。知り合いのつてや編集部への応募など、自薦や他薦で訪問した台所は足掛け6年で200を超えた。料理好きな人の台所、全く料理をしない人の台所、ひとり暮らしの人の台所、家族と暮らす人の台所、真新しい台所、取り壊される台所……。みんなその台所と連なる人々の、かけがえのない時間の記憶とつながっていた。

一緒に食べた、作ってあげた、作ってもらった、そういう〝誰かと食べた〞という記憶の大切さに、ある取材を通して改めて気づかせてもらったという。

その人の母親は重度の認知症を患い、料理をすることもできなくなっていた。まだ生きていて会えるのに〝あったかくて包みこまれるよう〞だった母の味はもう食べられない。でも、母と子の間にあったあの時間は、切ないけれど温かい記憶としてずっと残っていくのだ。
「台所をめぐる物語は百人百様です。読者の皆さんが誰かの物語を読んで、なにげない日々の中で流れていった時間のことをふっと思い出し、温かい気持ちになってもらえたら。そういうことを言いたくて私はこの仕事をしているんだと、再認識させてもらえましたね」

伝えるところ 受け継ぐところ
「タイトルをキッチンではなく台所にしたのは、日本人のもっている台所のイメージの奥にあるものを掘り起こしてみたかったから。漬けものがあったり、竹のざるがあったり、そういう昔ながらの暮らしの道具や知恵が息づいている気がしたんです」

とはいえ、台所という言葉が似合わないモデルルームのようなキッチンに出会うことも。主(あるじ)は外資系企業に勤めるエリート女性。夫婦共稼ぎの二人暮らしで、食材は日々使いきるようにしているため冷蔵庫の中はガラガラだ。家具も道具も最小限、きれい好きで生活の痕跡はごくわずか。そんなキッチンにも台所の匂いはあった。

「ほとんど何もない冷蔵庫に、手作りの〝麹納豆〞(こうじなっとう)が入っていたんです。聞けば、転勤の際に一時同居させてもらったお姑さん直伝なのだとか。当時は毎日帰宅するとお姑さんのおいしい料理が待っていた。すごく癒されて、ずっと一緒に暮らしたいと思うほど感動したそうです。そして、その料理で育ってきた夫のために、常備菜にするようになったと話してくれました」

台所というのは、誰かから受け継いで、誰かにつないでいく場所でもあるのだ。

中身の見えない容器より、透明の容器のほうが食べ忘れずにすむ。これも取材から得た台所の知恵。

 

少しずつ少しずつ 変わってゆく台所の時間
大平さんのお宅では、今は子育てがほぼ終わり、成人した息子さんと大学生の娘さんは家にいない時間が増えた。
「子どもが小さいころは、ごはんのメインは肉だったり、洋風の濃い味つけだったりしましたが、最近は夫婦の時間が増えて、酒のつまみのようなシンプルな料理が増えましたね」

「おかんのいいところってメシがうまいことだけじゃん」 辛口批評の息子からの最高のほめ言葉です
小学校時代の〝塾弁〞から中学・高校まで9年間続けたお弁当作りも、今は懐かしい思い出だ。最初はお弁当のレパートリーが5つしかなくて、適当に冷凍食品を詰めていたら、「塾で食べる弁当は僕の夕食なんだよ。これしか楽しみがないんだから工夫してよ」と懇願され、一念発起。てんやわんやの母の奮闘は、ふだんは何も言わない子どもたちの心に染みてゆき、お弁当作り最後の日に、感謝の手紙となって大平さんに届いた。
「毎年6月に梅干しと、子どものための梅ジュースを漬けていたんですが、もう梅ジュースはお役御免。寂しいなあと思いました。でも、これからは梅酒にすればいいんだって気持ちを切り替えたら、じゃあ、ブランデーで漬けてみようかなと違う楽しみに変わったんですよ」
大平さんの台所にも、ゆっくりと暮らしの時間が流れている。

再取材や書き下ろしを加えて刊行した著書『東京の台所』『男と女の台所』(ともに平凡社)。連載は今も継続中。朝日新聞デジタル[&w] https://www.asahi.com/and_w/ ※外部のウェブサイトにつながります

撮影/ノザワヒロミチ 文/長井亜弓

※当ページのコンテンツは、ベターホームのお料理教室の受講生の方のための会報誌「Betterhome Journal」2019年5月号掲載の内容を、Web記事として再掲したものです。

ベターホームのお料理教室の受講生向け会報誌「Betterhome Journal」

「おいしいって、しあわせなこと。」をキャッチフレーズに、 料理レシピや食についての情報を掲載しています。2019年6月号の特集は「夏野菜で作る10分レシピ」。きゅうり、トマト、なすを使った手軽でおいしいレシピを紹介しています。

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